Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/anshin/public_html/anshin_wp/wp-content/themes/anshin_2024_3/column/details/index.php:11) in /home/anshin/public_html/anshin_wp/wp-content/themes/anshin_2024_3/header.php on line 6
リスク共生が提供するソリューション - Column - リスク共生社会創造センター|横浜国立大学

Column

Column 04 リスク共生対話
~リスク共生のこれまでとこれからを徹底的に語り合う~

第2回(2024.04.08 掲載)リスク共生が提供するソリューション

対談:野口和彦/澁谷忠弘/聞き手:伊里友一朗

伊里
 次の質問に移りたいと思います。リスク共生(もしくはリスク共生学)は社会的な課題に対して具体的にどういうソリューションを与える方向に進んでいけばよいのだろうか、ということです。私がずっと悩んできたことがこれです。例えば、何らかの意思決定が必要な状況下で、こうしたほうがよい、これはやめるべきだ、といった規範を含んだソリューションをリスク共生は提供することが可能なのか、それとも、どのような主体と主体がどのような関係性をもって存在しているのか、というその場その場における状況の記述にとどまるものなのか。リスク共生は規範を示せるのか、記述に留まるものなのか。この点について両先生のご意見を伺いたいです。

野口
 伊里先生はずっとそういう問題意識を持たれていますよね。

 幾つかの考え方があって、僕は最終的にはリスク共生学というのは、意思決定、リスク選択の選択肢を与えるプロシージャー、ソリューションだと思っています。ソリューションという概念も、まあ唯一解を示して問題を解決するということだけではなく、その解決の道筋を示すのもソリューションに含まれると思っています。だから、最終的にこれが一番いいというところまではいかないかもしれないけれども、A、B、Cという選択肢があり、それぞれこういう問題があるよ、というところまでは整理できるのではないかというソリューションもあると思っています。

 もう一つは、リスク共生学は物事を考えていく時のプロセスを提示する手法であります。要するに、あなたは物事を考える時に、何と何を前提として、どういうことを考えた上で、その決断をすれば後悔をしないのか、という手法論だと思っています。

 より良い解を出すためには、まず問題を正しく設定することが大事ですが、今はその設定を十分に行わないで、何か分かりやすい解を求めるという風潮がありますが、今の社会の問題は、そう簡単なものではありません。とりあえず、解を出すことでホッとするということで満足して良い状況ではない。とりあえず、思いついた解を適用して問題が出たら対応するという方法で良い時期は過ぎました。できるだけ、問題設定の段階から体系的なアプローチが必要です。

 私は昔、リスクマネジメントとは結局何なのですかと言われて「リスクマネジメントは後悔をしないこと」というお話をしたことがあります。実はリスクとは、捉え方も種類も相当膨大なものがあるので、全部最終的に間違いないものがそろえられるという保証はありません。ただ、マネジメントというのは、与えられた時間で当たらずといえども遠からずということを選択するものだとすると、十分に考えて出した結論は、対応に見落としがあっても仕方がないというところまで追い込むのがリスクマネジメントという学問体系だと思っています。

 ただ、ここまでやったから仕方がないというのは、実は組織や個人の能力やリソースによっても違います。だから、ある人は2つ選択肢があるというところを考えてこちらを選ぶということで、もうこれで仕方がないということになりますが、別の人には実は3つ、4つの選択肢があるということが分かることもあります。それが実はマネジメントというものの本質で、それはそれで仕方がない。それはその人にとって後悔する分岐点が違うからというのが私の捉え方です。

 だから、マネジメントが高度になればなるほど後悔しない分岐点レベルがずっと上がってきます。先日は文化の違いについて学術会議で議論がありましたが、何が文化の差異を創りだしているかというと、原因の一つに社会を変える力があります。何かを可能にする力を身につけたときに社会も文化も変わります。科学技術の持っている力というのは強大になってきたので、少しの誤差がとても大きな結果の差異を及ぼすという、非常にセンシティブな世の中になってきています。だから、非常にいろいろなことを考える材料が増えてきているというのが現代社会の構造なのです。

 理想的に言うと、リスク共生に基づいてどのような人でも、例えばこの3つだけを考えればいいのだ、ということをソリューションとして出すことができれば、それはノーベル賞級のすごいことなのですが、おそらくそうはいきません。なぜならば、世の中が発達すればするほど、実はリスクマネジメント自体がどんどん複雑化していってしまうという構造にあるからです。どの時点でリスクマネジメントの構造を切り替えるかというのは、結構重要な問題です。現代の科学技術の動向をみると、その分岐点が近いのではないかと思っています。

 今までのやり方の延長線上では、あまりにも検討するリスクが多くて、対応のためのリソース自体が足りなくなるのは目に見えています。だからそういう視点でのソリューション研究も必要になります。それはもしかするとAIの導入かもしれないし、分かっていること、分かったことを適宜うまく使うということで、必ずしも大元までの詳細分析に入らない、というやり方かもしれません。細かい点はまだ分かりませんが、そういう気はしています。

 そうはいってもまだそのレベルに展開するには少し早くて、やはり今のリスクマネジメント自体が結構致命的な問題を持ったまま来ているような気がしています。例えば台風というものを自然災害だと捉えるのと、気象現象だと捉えるのではリスクは違うわけです。台風というのは恵みの雨も運んでくれるし、もっと言うと台風が発生して、ある軌道を物理法則に従って動くことによって、地球環境全体のバランスを取っているという構造論があり、それをある種の地域の風や雨の量をコントロールしたいということでコントロールしてしまうのは、おそらく現象論の理解としては全く成り立たない世界です。

 今までのリスク論というのは、例えば火災がある、爆発がある、という個々の現象を防ぐ方向に使われてきたから、全体の影響を考える上での意思決定という仕組みになっていないのです。そこのところは個々のリスクマネジメントのレベルでやらなければいけないのですが、その限界がリスク共生の仕組みの限界なっていることもあります。

 私たちの仕事というのは、社会変化に先行することが研究としては重要なので、一つ一つ根元のところを完全に理解し、では次には、ということをしていると間に合わないのです。だから極端に言うと、土台は50%、その次は30%しかできていなくても、ガウディではないけれども、聖堂の先を造り始めないと、サグラダ・ファミリアにならないのです。

 今、リスク共生はそういう状況に置かれていて、個々のリスクの問題がたくさんあるというところで留まっていると、最終的な多目的アプローチにおけるリスク論というところまで到達できず、リスク共生の全貌が見えないなと思っているのが正直なところです。

 だから、伊里先生の質問に対して言うと、ソリューションとしても何段階かあります。それは本当に最終的なリスク共生論のソリューションと、リスク共生論の持っているある部分的パーツを使ったソリューション論であると思うというのが僕の答えです。

澁谷
 私もリスク共生の現状については同様のことを感じています。いわゆる現場の問題を解決するという意味で、リスク共生学を用いたソリューションと、リスク共生学自体が目指すべきソリューションというのがあります。よって、問題とするべきソリューションはどちらかによって、多分、議論するソリューションというのは変わってくると思います。

伊里
 それは分けたほうがいいですよね。我々のところに相談にいらっしゃる方も、これらがこんがらがったまま、いらっしゃることが多いと感じています。 

澁谷
 そうです。大学の中でもよく議論になるのは、リスク共生学というものの本質がまだ見えない、という意見が学内でも結構多いです。それは現場の問題にどのようにアプローチし、解決するのですか、という話なのです。我々はどちらかというと、それを社会的なアプローチでリスクマネジメントしていきましょう、というガイドラインや関連するガイドラインを出しているのですが、それを使って役に立つのですか、それをソリューションとしてどのように解決していくのですか、というところが、まだ見えていないというような意見が結構多いというのは事実です。

 それを本当に個別で対応していくべきかどうかというのは、センターとしても実は考えなければいけないのですが、一方で、リスク共生学そのものについて、自分たちの中の答えを出さなくてはいけなくて、そこは先ほどお話ししていたような、要するに最終的な多目的な中でのマネジメント論というのをどのような形でクリアするか、これが今我々の中で解決しなければいけないソリューションです。

 ちょうど昨日、私はリスクマネジメントの国際規格ISO31000の会議で議論をしていた時に、organizationの議論がありました。カナダの代表がorganizationとsocial systemを分けたいと言い出したのです。でも、我々やオーストラリア代表は、organizationはsocial systemを含んでいるから、organizationでいけますよ、という話をしたのですが、やはり人によっては、social systemの問題というのは複数の目的が入り交じるので、今のISO31000では解決できないという意見もあるのです。それは半分正解で、半分は違うと思っています。そこを解決しないといけないのが、多分、ISO31000の次のステップとしてあるはずなのですが、それが解決できていない。そこで別の規格を作ろうという提案がカナダ代表から出てきていたりします。social systemの問題解決は、世界中で課題になっているのだろう、という意識はしています。ただ、(現状は)解がないというのが……。

野口
 そうですね。

 伊里先生の質問に対して別の言い方をすると、別に必要ないところでリスク共生を使う必要はないのです。僕はシンクタンクの時に、自分の仕事をengineering detective、工学的探偵と位置付けていて、その時の事件に応じて使う手法も違えばよい、としていました。だから「あなたの問題は、単に個別リスクのハンドリングの問題だ」、とか、「リスク以前の規則をきちんと守るというレベルの問題だ」、ということで処理していいものもある。一方で、組織のマネジメントの中でしか解決できない、さらに言うと社内の中でも解決できない問題もあり、問題によって用いる手法が全部違うのです。そこのところが、要するに牛に使う牛刀と、鶏に使う鶏刀は違うので、何でもかんでも牛刀でぶった切ろうというのは、それはひどい問題です。

 リスク共生論というのをパーツに分けると、先ほど言った個々のリスク論も当然リスク共生の一部に入るということはあるので、それは別にリスク共生学と呼ばなくても、普通のリスクマネジメント論でいいと思っています。

 ただ、私はリスク共生論の何を一生懸命に薦めているかというと、個別の組織のマネジメントの集合論ではうまくいかないことが、社会では非常に多くなっているので、マネジメントの総合論と集合論の違いを明確にして新たな社会マネジメント手法を提供したいということで、リスク共生をという考え方を打ち出しました。これまでの多くの方法論のように、一つ一つのリスクを集めて、エクセルで一括集計するということだけでよければ、リスク共生という考え方は要らないと思っています。