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リスク共生概念の実装とこれまでの課題 - Column - リスク共生社会創造センター|横浜国立大学

Column

Column 04 リスク共生対話
~リスク共生のこれまでとこれからを徹底的に語り合う~

第1回(2024.04.01 掲載)リスク共生概念の実装とこれまでの課題

対談:野口和彦/澁谷忠弘/聞き手:伊里友一朗

伊里
 今日はまず前・リスク共生社会創造センター長であり、現NPO法人リスク共生社会推進センター長の野口先生に、リスク共生概念の提唱者として、これまで活動してきたところで、これまでに達成できたことと、まだできていないこと、または当初の想定とは違ったことなどを踏まえて、今後のリスク共生について、こうなっていく、もしくはこうなっていくべきである、という振り返りと見通しを伺いたいと思います。そのあとに現センター長の澁谷先生にも考えをお聞きします。それを踏まえて、今後のリスク共生学研究の進め方を議論していければと思います。

野口
 私のほうから今何を悩んでいるかというと、澁谷先生と一緒につくってきたリスク共生という考え方は、英語で言うとSocial risk management in the presence of diverse values, environments, and risks. 要するに、リスク共生の特徴の一つには多様な価値観とマネジメント主体によるリスク群のマネジメントという構造系があるということです。それに加えて、マネジメントを行うマネジメント主体によって、それぞれの目的を持っている、という実社会を想定した社会マネジメント手法であるというのが、私が最終的にリスク共生に求める構造です。

 そういうことを考えてきましたが、そこまで行くまでにいろいろなことが整理されていないというところに行き着きました。課題には大きく分けて三つのステージがあります。

 第一のステージは、単一のリスクに対するマネジメントの構造自体が非常にいびつな格好になっていて、工学系のいわゆるリスク分析を主体としてできた体系でずっとリスクを捉えているので、マネジメントのところまで現行のリスクマネジメントの十分な検討が行なわれていません。1つのリスクがきちんと計算できたとしても、同じリスクを見てもGoをかける判断もあればStopをかける判断もあるという、マネジメントとは本来そういうものなのです。マネジメントでリスク判断するために、どういうリスクをどういうリスク基準で、どういう精度で分析するかという基本的なところをきちんと整理する必要がありますが、そのことが整理されないまま、来てしまっているというところに、危機感を感じます。
 それを乗り越えるための方向性は、澁谷先生もISO 31000の委員等でやっていただいているように、方向性は見えていると思っています。ただそれは方向性が見えているだけで、それをきちんとしたリスクマネジメントに仕上げるのは大変なのですが、一応方向性としては見えています。

 その中で比較的新しいのは、単一リスクの中でもその影響はポジティブ、ネガティブの両方があるというものを総合的に見るにはどうすればいいのかということです。これは実は組織でいうと、例えばAIの実装ならば、AIというものが、このような便利さがあるから薦めたいという営業系、研究開発系の人たちと、このようなネガティブなものがあるという安全系の人たちとの話をどう調整するのか、というようなことと問題の集合論としては同じことですが、ここはリスク共生のマネジメント論で何とかなるだろうと思っています。

 しかし、Management of Risksというリスク群のマネジメントになると少し様相が変わってきます。リスク群のマネジメントで必要になるのは、リスクの連携分析です。世の中のリスクはそれぞれ独立性ではないので、このリスクとこのリスクはどのように関係するかというリスクの連携の問題や、リスク対策の連携の問題が出てくるわけです。これが第二のステージです。

 今、NPOリスク共生社会推進センターでリスクの関係性だけでも客観的に整理しようと試みていますが、まずそれが非常に難しい。その難しさはどのような難しさかというと、まずリスクとリスクのカテゴライズというか、プロファイルということ自体が難しい。それは、リスク自体が非常に経験則によっているので、その捉え方がばらばらだということにもよります。

 例えば火災リスクというのは何となく火災が起きるリスクということで、このリスクは原因系で考えていきます。地震リスクも似たようなものです。環境リスクというのは、逆に環境が傷むリスクという、結果系の概念としてまとめてあることがあります。

 世の中はいろいろな捉え方でリスクをまとめるから、〇〇リスクですと言われても実はAとBとCのリスクというのは一つの枠組みの平面に並んでこないという、こういう問題の構造があるのです。

 これをRisks、リスク群としてまとめる時は、(実は方法は1つではないのですが)1つでもいいからこのような考え方の仕組みをつくらなければいけないと思っています。

 それは実は、会社経営としてのリスクの取り扱い方と非常に似ている状況で、ここまでは僕も実はシンクタンクの時に行ったことがあるので、感覚が何となく分かります。

 第三のステージは、そのマネジメント主体が複数になった時に、複数のマネジメント主体における解の在り方というのが非常に難しい。分かりやすく言うとこれは政治の概念になります。私はある政党の、いわゆる勉強会の講師をしたことはありますが、政治自体はわからないので、この最終的なマネジメントの仕組みをどう考えるかは難しいです。ここが、私の中でのリスク共生論の課題の一つです。

 さらに、社会リスクマネジメントとしてリスク共生を整理しようとした時に、ずっと悩んでいるのが個人と社会との関係で、社会論として展開すると、どうしても多数偏重論というか、パレート最適化のような結論になりがちなのですが、社会の構成要素である個というもののリスクと社会全体のリスクのマッチングがどうもうまくいかないのです。この構造を拡大していくと、社会の構成要素には個人もあるし、組織もあるし、地域もあるし、国もあるし、世界もあるというように、社会の構成要素が面一ではなくて、複数の構成要素から成っているという当たり前のところに思い至ります。そうすると、社会のマネジメントの裾野自体が実はうまくフレームできていないというのが、今の私が悩んでいることです。

 だから、リスク共生学(丸善出版,2018)を書いたときに、リスクの連携の問題、すなわちリスクを会社というマネジメント主体が明確な組織でマネジメントを行う場合のいろいろな世の中のリスクをどのように扱うかという問題になるということについてまで何とか手がかかっています。でも、多目的な社会構成の中におけるManagement of risks、そのフレームが全くできていない。そのため、リスク共生で社会意思決定を実際に支援することは、まだ難しいなという感じがします。

 一番の大所でいうと、その3段階の中の3番目のところがまだフレームでは、最適化という概念から疑わなければいけません。昔から、複数の価値観があるところで最適解はない、と言われていましたが、それでも気を緩めると、社会最適化という用語を平気で使用してしまいます。そこの概念を外していくと、最適化というある種の工学的に言うポテンシャルが安定的なところではないところに解を求めるとなると、解の存在をどう定めていくのかと言う方法が見えていないというのが、僕なりのリスク共生論の大きな課題です。
もちろん、個別問題のリスクマネジメントという概念自体でも課題はあります。

伊里
 分かりました。ありがとうございます。では澁谷先生に伺います。澁谷先生も野口先生と伴走してリスク共生学を推進してきて、思いを同一にするところもあれば、分かつところもあるかもしれませんが、今の話を聞いてここは同じ、ここは目指しているところが少し違うかもしれないというところがあれば、ご紹介いただけますか。

澁谷
 おおむね野口先生がおっしゃられたことと方向性は同じです。やはりリスクというのが、もともと危ないもの、危険なものというものをいかに解決するかというリスク対応のための概念から始まり、いわゆるベネフィットとリスクという対比で可能性を取るというような話に展開されてきました。
 だからリスク共生社会創造センターができた時の日経新聞の宣伝広告のイメージも天秤を採用しました。リスクにはポジティブの影響とネガティブの影響があり、そのバランスを取る社会がリスク共生だという話をしていました。それはある意味、組織のリスクマネジメントそのものの一つの社会版という位置付けでした
 しかし実際にリスク共生社会に関する研究を進めてみると、やはり社会にはいろいろなステークホルダーがいて、いろいろな目的を持った主体が存在する状態で社会解決を目指す必要がある。そのような要求に対して、リスク共生を社会のマネジメントのツールとして使っていこうとした時に、やはり今は壁があり、なかなかうまくいっていない、というのが現状だと思っています。

 その中で、リスクの概念を危険性から可能性に変わっていき、最後に多様性にまで持っていきたいというのがわれわれのリスク共生センターの思いです。特に多様性という視点で見た時のリスクを、どのようにマネジメントするかというところが、おそらくリスク共生が最後に目指すところなのだろうな、と。それが政治なのか、もしくは、政治とは別なDAO (Decentralized Autonomous Organization)という分散型自律組織のような体系がいいのか、どのような体系がそれを解決できるのかというのが、多分これからの展開だと思います。

 私も政治に直接取り組むというのはなかなか難しいと思うのと、これから出てくるDAOも、まだ海のものか山のものか分からないので、このリスク共生が抱える課題に対するソリューションがまだ提供し切れていないというのが、今われわれの最大の問題と思っています。

野口
はい。そのとおりです。多目的アプローチでも方法は幾つかあるのです。例えば、それぞれの目的に対して重みを設定すると、その設定した重みに従うと最適解というのは出てこないわけではありません。よって、その重みを設定するという方法は一つの解法です。

 しかし、マス(多数)の意思と個の価値観というものが、どこまでマスの意思を優先したらいいのかということ自体、すなわちその重みに関してが、私の気持ちの中ですっきりこないのです。イエス・キリストは1匹の迷える羊を探すために、多くの羊を置いて探しに行ってしまうのですね。あのような感覚を幼い時から習っていると、やはりマスが大事というのは理屈としては分かっていても、人の道としてはそれでいいのか、という問題意識が私の中に残っているというのは、若干社会論としては弱いところなのです。

 それから、世の中のリスクマネジメントの適用がかなり限定的になっている問題があると思います。一般的にリスクマネジメントは組織やプロジェクトや地域という、いわゆる集団、マス、組織のマネジメント手法なのだけれども、特に日本だと集団のマネジメントが個別の業務管理の集合体で進められているというところに、実はリスクマネジメントの適用がなかなかピシッとこないところがあります。

 要するに、安全担当の人は安全の担当者なのです。だから安全が大事という視点での最適解を求めるという訓練をずっとしてきています。ところが会社から見ると、安全は大事なのだけれども、実は安全最優先ではないという現実のところで、これまでの安全の世界がやってきた話と、そうではない社会との関係の調整がうまくいかないのです。