Column 04 リスク共生対話
『リスク共生のこれまでとこれからを徹底的に語り合う』第6回(2024.05.13 掲載)リスク共生実装の筋道
対談:野口和彦/澁谷忠弘 聞き手:伊里友一朗
野口:
リスク共生をどのような形で世の中に送り出すかというのは、少し考えなくてはいけません。
例えばリスク共生の展開の考え方では、リスク共生のファーストステップ、セカンドステップ、サードステップのようなものがあります。ファーストステップは個々のリスクを適切にマネジメントする手法としてのリスク共生論で、セカンドステップが複数のリスク群のマネジメント法、サードステップは多様な目的論を取り込んだマネジメント法と続きます。おそらく一番ニーズがあるのはファーストステップだと思います。だから、そこからプロデュースしていくというやり方はあります。
私の感覚から言うと、セカンドステップまで行って、初めて個々のリスクの問題点に気付くこともあるとか、結局1,2、3ステップでそれぞれの山を登ることなので、高い山に登ると自分がこれまでいた位置が見えてこれまでの問題点がいきなり分かるということがあります。だからリスク共生を広めるための活動と、リスク共生を高めるための活動は、やはり並行して行わなければいけないと思います。活動としては、両者は要るのだろうと思っています。
NPOリスク共生社会推進センターと大学のリスク共生社会創造センターの関係から言うと、リスク共生を高める仕事は大学のセンターで、広める仕事はNPOで、ということもいいと初めは思っていましたが、だんだんやっているうちに、両方とも一緒にやったほうがいいかなと最近思っています。
大学のセンター活動としてやはり考えなければいけないのは、自分の専門性や立場だけで考えると複数の視点が必要なリスク共生の考え方には共感しにくいと言う問題があります。NPOで議論していると、色々な立場を超えて議論することができます。だから、そういう枠組みを活用できればと思っています。
ただ、先ほど言ったファーストステップの、個々のリスクのマネジメント論に関しても課題がたくさんあるから、あまり先走ってしまうとそれこそ相手にしてもらえないという気もします。
伊里:
何か適切なケーススタディーのような取り組みが必要な時期なのかなとは思います。
野口:
そうですね。その一つの走りが、先日学術会議であったカーボンニュートラルのリスクフレームというものです。実はこの問題では国際的な合意の問題から、個々のカーボンニュートラルの技術の問題まで、幅広くなっているというような話をしました。
カーボンニュートラルがうまくいかないとDXも失敗すると書いたら、学術会議の他の先生からクレームが出て、それはいくら何でもあまりだろうと言われました。でも、カーボンニュートラルが失敗してプラスチックが作れなくなると、コンピューターはどうするの?という世界があるのです。カーボンニュートラルは実はそういうところに全部及んでくるような話なのです。
ただ、フレーム論と個々のリスク論というものの理論的な仕分けが難しいです。フレーム論の説明をしている時に、フレームを使った個々のリスク分析の個々の問題に関する認識の違いについて指摘されることが多いです。そういう個々の問題と、フレームをきちんとつくるという話と、フレームを使った論証が正しいかどうか、というのは話が違うのですが、それがいつもごちゃごちゃになりがちです。特にフレームをつくったことがない人にとっては、フレームづくりの意味が分からなくて、結局個々の問題の具体的にリスクは何なのか、という話になってしまうのです。
これは大変かなという気はしています。いろいろな複数のものの可能性を連動して考えていく力を持ったほうが、最終的に圧倒的に強いと思っていますけれども。
伊里:
リスク群も“多様”ですが、それに対応する人たちも“多様”なのですね。リスク共生が対象とするのが多様(な主体)×多様(なリスク)ということを改めて思い出しました。
本当は大事なリスクであっても、自分たちにとって関係のないものだと思い込んでいるリスクについては、なかなか対応してくれなかったりすることがあると思います。
野口:
リスク共生学で、おそらく全体的な問題として一番まずやらなければいけないことは、リソースの有効配分だと思っています。今の状況は、目の前の問題や出てきた問題に、順番に金を付けていくという社会構造だともたないというのは明らかです。政治が近視眼的になっているという問題があります。
リスク共生を進める立場では、今の政策論に対して言うと、やるべきということに関して、政策のリスク自体も検討せずに進めているということに関して、何らかの警鐘を鳴らしておかなければいけないのではないかとは思っています。
例えば、マイナカードの問題があって、カードを進めるといった時に、ワクチンもそうでしたが、制度を進める時に事前にどういうところに問題があるのかということが不完全なまま突っ走るという社会構造自体に関しては、実はリスク共生のいわゆる政策の有効性評価という機能を使って議論するということは必要だと思います。何か思いついた施策・対策を打つことで、あたかも結果的にもいい結果が出るような雰囲気の中で物事が動いてしまっているようなときは、リスク学としては少なくとも警鐘を鳴らしておかなくてはいけない。
ただその時にも、ある事柄をやめてしまうと別の問題が起こるであったり、ある施策によって他の領域のリスクに影響したり、ということまでを警鐘の要件とすると、やはりリスク共生という概念が必要になる。
実は、ある機関から「社会レジリエンス」について提言をまとめることになっているのですが、何をどのように提言するかがまとまっていません。地震の専門家は地震に金を使えと言うし、カーボンニュートラルの専門家はカーボンニュートラルに金を使えと言い、ある人は何よりも経済成長が重要だと主張する。個々のリスクの話はできているのですが、この提案のまとめ方は難しい。リスク共生の難しさですね。