Column 04 リスク共生対話
リスク共生×国際経営論(第2シリーズ)第8回(2024.10.23 掲載)役に立つ、されどその道は険しい、と主張すること
対談:周佐喜和/澁谷忠弘 聞き手:伊里友一朗
周佐:
社会科学の中でも基本的な世界観・前提の違いが存在することを表す例を一つ思い出しました。合理的な計算を重視する立場から見ると、ライバルと競争する時に、よいモノであるためには他と差を付けないと駄目です。他と違いを出さないと他より優れた業績を出すのは期待できません。泥沼的な価格競争など消耗戦に陥るのが見えていると考えるからです。経済学的な考えだとそうなる。でも社会学的な人は、差別化すればよいとは言っても、社会にはしがらみがあるから、全然すっとんきょうなことをしたら、やはり世の中に受け入れられないはずだという。だから、あるところでは世の中の規範に従うべきだと主張します。たとえば、ダイバーシティが謳われている今の時代に、「うちは純血主義の強みを出して、他と違いを出す」と言い出すのは恐ろしいと思う人が多いはずです。また、今現に売れている商品やサービスを否定するような新機軸を打ち出すのを躊躇う人も多いと思います。そのため、確固たる根拠や自信があるわけではないけれども、周りの人たちと同じことをし続けよう、周りの人たちと違うことはしないでおこうと考える人たちが多数派になるのも、不思議ではないし、間違ってもいないと考えるわけです。
同じ経営学をやっている人でも、社会学ベースの人と経済学ベースの人でこのように見方が分かれてくるから面白い。それもまた経営学の面白いところだと思っています。ベースが経済学・社会学・心理学という、普通の状態だと極めて仲の悪い人たちを一つに集めたような学問分野なのです。だから、経営学者の中でも専門によって主張が分かれてしまうことが得てして多いのです。そんな時は、この主張をしている人が、経済学ベースの人なのか、社会学ベースの人なのか、心理学ベースの人なのかと注意していると、深読みができて面白いわけです。
日本の経営学者の中には、やはりもともと、上で述べたような、経済学・社会学・心理学などから構成される学際的なベースがあったということだけでしょう。もっとも、それらの学問ベースが融合してるつぼになることはなく、サラダボウルのようにそれぞれが細かく分かれているだけというのが普通だけれども、あえて頑張って全部勉強したという人が、自分の師匠や先輩方の世代には多かったと思います。つまり、経済学の議論もできれば、社会学も知っていて、心理学にも口を出すというような、それがよい経営学者なのだという人が昔はいて、そういう人たちに接したのがよかったかもしれません。だから、ここに来て澁谷先生や伊里さんとお付き合いしても、違和感がないのはそういうことかもしれません。
伊里:
ありがたいです。周佐先生は何を伺いに行っても、余計なこと、言ってはいけないことも含めて、何でも教えてくださるので。
少し前の話題に戻ってしまいますが、ハーバードなどの実践的なビジネススクールでは経営学のプラクティカルインプリケーションのところ、すなわち役に立つよ、ということを特に強調するわけですね。
周佐:
なぜかというと、ビジネススクールのお客さんは経営者になりたい人だからです。その人たちに高い学費を払ってもらおうと思ったら、役に立つよ、と言うしかないわけです。
伊里:
これはリスク学に関しても大事な示唆かもしれません。お客さんをリスクや意思決定に悩む経営者と定義したほうがよいのではないでしょうかね、澁谷先生。
澁谷:
本当は経営者のほうにリーチしていきたいけれども、なかなかそこに到達するルートが難しいなと思っています。そこにリーチしていく方法を経営学に教えてほしいなと思います。
周佐:
先日、髙木先生と立ち話をしたけれども、アメリカの心理学の分野では、日本の文学部のような純粋な学術研究に特化したところの他に、ビジネススクールに就職している人が結構多いそうです。(*こういう人たちは、ビジネススクールで「組織行動論」という科目を担当するのが普通です。モチベーションやリーダーシップ、キャリアなどの現象・課題を扱います。以下で触れる、意思決定における認知バイアスの問題もその中に含まれます) そういう人たちが書いたビジネススクール向けの教科書や本を僕も読んだことがありますが(たとえば、M.H.ベイザーマン&D.A.ムーア著、長瀬勝彦訳『行動的意思決定論:バイアスの罠』白桃書房、2011年)、やはりその最後の章は、役に立つかどうかという議論になります(上掲書の最終章のタイトルは日本語訳で「意思決定の改善」になっています)。
髙木先生が専門にされているのは認知バイアスですが、認知バイアスはたぶんリスクコミュニケーションでも必ず触れられますよね。ただし、純粋な心理学の先生であれば、ここにバイアスがあるよね、と記述すれば学術研究としては十分なのでしょう。人間の本性を知るのに前進があったわけだから。でも、ビジネススクールにいるとそれだけではダメです。バイアスがあると分かったのであれば、そこからどうすればよいのですか、という解決策の話になるはずだからです(実際に、上掲書もそのような構成になっています)。
その時に面白いなと思ったのは、僕が読んだ教科書(上掲書です)では「それはできない」とは書いていません。だけれども「簡単にできる」とも書いていません。そこには「すごく難しいけれども、こういう努力をしたら、ひょっとしたら糸口くらいはつかめるかもしれない」とだけ書いてある。安易に保証はしない。だけれども、頑張ればよいこともあるかもしれないよねと。でも、そのためには、ビジネススールに入学した上でつらい勉強が必要だからね、という書き方になっています。
面白いですよね。そうすると、お客さんが来るのだなと。
伊里:
学問のプロデュースとして、難しいところですね。
澁谷:
難しいですよね。
周佐:
でも、こういう見方は面白いですよね。
僕たちは経営学者なのですが、ビジネススクールでは、経営戦略論やイノベーション・マネジメントなど他の分野の先生も、同じようにやっているな、と思います。経営は簡単にできるよ、と言ってしまったら、経営者になりたい人は本だけ読んで分かったつもりになって入学してこない。逆に、僕も含めて凡人には、簡単にできるようになる訳がない、それよりも他のことを考えたほうがよいと、正直に書いてしまうと、やはり入学者はいなくなる。
確か、行動経済学の人も言っていたと思います。できると言わないと、やはり政策のレベルでは意見を受け入れてくれないと。
澁谷:
先ほどの経営学の役に立つというのは結構キーポイントで、われわれのリスク共生の話も、どう役に立つのですか?というところを示すことが今、求められています。今伺ったように、役に立ちません、と言ってしまうと誰も使ってくれないのですが、逆に言うと、答えはこうです、というのもなかなか提供しづらい。
周佐:
それを言ってしまったら、逆に言うと、リスク共生も本を読めばよいということになる。
澁谷:
だから、そこは難しいよ、というよい塩梅を出すのが結構悩ましいです。