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経営学のソリューション - Column - リスク共生社会創造センター|横浜国立大学

Column

Column 04 リスク共生対話 

リスク共生×国際経営論(第2シリーズ)第4回(2024.09.04 掲載)経営学のソリューション

対談:周佐喜和/澁谷忠弘 聞き手:伊里友一朗

伊里:
 私がずっと悩んでいることの一つに、リスク共生学が提供できるものは、『ある意思決定に対してあとから振り返ってみた結果論的な分析(記述)にだけに留まるのか』それとも『意思決定をするその時々に何らかの有効なソリューション(規範)を打ち出せるものなのか』ということです。これは野口先生とも議論しました。

 国際経営論、もしくは経営学を含めて、そういう点についてはどのように考えていますか?

周佐:
 経営学に限らず、社会科学では、過去に発生した事象から現在の状態が導かれた理由を考えるというのが、基本姿勢だったと思います。その意味では、後知恵的・結果論的な性格が強いと思います。ただし、そうして導き出された論理なり理論(ここでは論理を体系化・精緻化したものを理論と考えておきます)を活用すれば、現在の状況を観察することで将来に何が起きるのかを予想できるのではないか、ということは言われてきました。経営学は、社会科学の中でも、実践的に有用であることを求められてきたので、その傾向を強く持ってきたと思います。良い理論は、極めて実践的である(あるはずだ)という考え方です。

 ただし、因果関係の厳密な証明という点にこだわっていると、なかなか実践的に有用な主張がしにくいという面があります。大量データに基づいた定量的研究は、導かれた結果の頑健性という点では優れていますが、データを揃えるまでに時間がかかってしまいます。その結果、研究結果が出た頃には、実践的な見地から見て遅すぎるということにもなりかねません。
 
 僕が事例研究を好きなのは、後知恵的ではあるけれども、物事同士の関係性や法則性が見えていない時に、外れ値や先行事例などを詳しく調べると何かそういった関係性や法則性の仮説は見つけることはできる、と思うからです。大量のデータを取っても、誰かの言った仮説の検証しかできません。事例研究は後知恵ではあるけれども、今まで言われてこなかった仮説やインプリケーションが導き出せる可能性があるわけです。実践的な問題意識の観点から見て、重要な主張ができるかもしれないのです。

澁谷:
 そこをどうやって先にフレームをつくって提供できるかというところが、リスク共生社会創造センターが一番重きを置いているところです。しかし、事例研究をまずやらないといけないという話ですね。

周佐:
 経営学もそうですが、事例研究で仮説を導き出して、その仮説を大量データで検証してきれいにまとめていったという研究はあまりないのではないかと思います。実際にはそれほどきれいなものにはならないはずです。仮説を導き出してから、大量データを集めて、検証までたどり着くのは結構距離があると思います。

伊里:
 ある学問に対して、これが役に立つとか、立たないとかで価値評価する人もいます。私はそのような意見には与しませんが……。でも国際経営論は役に立つものとして信頼されていていると思います。同じようなバリューをリスク共生学も生み出したいなと私は思っています。

周佐:
 それは経営学というよりは、アメリカの幾つかのビジネススクールで教えているようなことが、まさにそういうものだからです。ビジネススクールの価値観は、ハーバード・ビジネス・スクールが典型だと思われていますが、プラグマティックに役に立たないといけないというものです。特にハーバードはそうです。そうではないところもたくさんあるけれども、やはりハーバードの影響が日本では強くて、ビジネススクール一般として役に立たないといけないよねと考えられています。ただし、あらゆるビジネススクールがそうだというわけではありません。シカゴ大学のビジネススクールは、経済学の理論が強い大学に置かれたこともあって、しっかりした経済学の理論に基づいた体系的なものでないと駄目だ、という主張が伝統的に強かったです。

伊里:
 理論と実践のバランスについて、リスク共生学を創造していくにあたって、私としてはそこのバランスを測りかねています。どちらに重きを置くべきであるのか。