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経営学におけるリスク - Column - リスク共生社会創造センター|横浜国立大学

Column

Column 04 リスク共生対話 

リスク共生×国際経営論(第2シリーズ)第2回(2024.08.21 掲載)経営学におけるリスク

対談:周佐喜和/澁谷忠弘 聞き手:伊里友一朗

澁谷:
われわれはリスク共生の定義の時に、ISO31000の定義(目的に与える不確かさの影響)をベースにやっています。経済学ではフランク・ナイトの定義のような形で、確率分布で与えられるものをリスクとし、そうでないものを不確かさと定義分けしていると思います。経営学では、リスクはどういう定義が一般的なのですか。

周佐:
 ナイトの話も分かるけれども、人によって違うのではないでしょうか。

 経営学だったらハーバート・サイモンの組織論が有名で、彼の場合は確率分布が分かっているのか、それとも確率分布すら分からないのか、さらにもっとひどいと選択肢すらも分からないよね、とその3つくらいに分けていると思います。自分は、この三つともリスクだと捉えています。現実の世界にも、この三つのタイプのリスクが混在していると思います。サイモン流の説明によると、人間の合理性には限界があるため、将来を確実に予測することは難しいからです。だから、確率分布が分からなかったり、予想のできなかった事態が発生したりするのが常だということです。

 経済学は、確率分布が選択肢と同時に分かっている世界なら、目的関数と効用関数を導入すれば最適な選択肢、あるいは解が計算できるはずだ、と考える。これが、ナイトの言う不確かさの世界になると、最良の選択肢を選ぶルールが一つとは限らなくなってくる。しかし、どのルールを用いるのかを決めれば、やはり最適解にたどりつくことはできる。有名なゲーム理論のミニマックス原理(それぞれの選択肢を選んだ際の最悪の結果を比べてみて、最も「ましな」ものを選択するという意思決定原理)は、その一つです。ただし、すべての選択肢が事前に分かっていない状況だと、最適解を選ぶのは無理だということになる。今なら、AIの助けを借りて何とかするという手があるかもしれませんが。

 ところで、経済学で考えるリスクと一般に考えられているリスクとで違う点が一つあります。普通に考えられているリスクはすべて悪いことだという前提は、経済学だと特殊なケースになると思います。理想の状態があって、それよりよい状態がないという状況のときは、通常考えられている通りにリスクはすべて悪いことになります。たとえば、爆発事故で言うと、爆発しないことより良い状態はないでしょう。ところが、経済の世界では、景気や株価など、予想を超えてもうかってしまうことも起きます。この場合、想定よりも良い事態になることも、経済学ではリスクになります。株価が下がるリスクもあるけれども、上がるリスクも同時にあるわけです。儲かる時はべらぼうにもうかるけれども、外れるとどんどん下がっていく。半導体関連の株価なんて、そうらしいです。景気の波がすごいから。

 半導体のような業界では、「浮き」の波が思ったより大きすぎた際には、それはそれで困ったことになることが知られています。たとえば、思ったよりも売れ行きが良すぎると、原材料の供給が追い付かずに、調達コストが想定以上に高くなってしまったり、生産の継続ができなくなったりするリスクが生じます。また、こうした「浮き」の波に乗って設備投資を積極的に行って製品供給を増やして売上や利益の実績を上げたとしても、次に「沈み」の波が来た時には、設備投資の固定費の負担の大きさに苦しむことになるリスクが発生します。このように、当初の想定以上に良い成果を出せたとしても、それはそれで別のリスクを孕んでいることが多いのです。これが経済の世界なのです。

 もう一つ面白いのは、リスクの大きさの捉え方です。今週の日曜日に大学のオープンキャンパスで心理学の髙木先生(リスク認知)の模擬講義を聞く機会があって、そこで気付いたのですが、リスクの大きさを期待値で考えるのか、効用関数で考えるのかで、また違う世界が考えられます。模擬講義に来るような高校生は、確率論を学ぶ際に、はじめ不確かさのある世界では選択肢の良い指し期待値で評価すると習っていると思います。そうすると、リスクは、何かの、絶対値で評価することになる。例えば、お金が儲かる、損するという場合だと、金額という絶対値で評価するわけです。50万円儲かりそうな話しよりも、60万円儲かりそうな話しの方が好ましいだろうと言うように。でも、経済学者は絶対値ではなく効用(満足度)というワンクッションを置いて考えます。例えば、皆さんも1万円もらえると嬉しいですよね。でも、たぶん100万円持っている人にさらにもう1万円あげるよ、と言っても、同じ1万円だけどそんなにうれしくないと思います。これが効用であって、同じ1万円なのに満足感が違うよね、と。これは損する時も同じです。

 期待値で考えるのと効用で考えることの違いを上手く示している意思決定問題として、聖ペテルスブルグのパラドックスとして知られている問題があります。これは、コインをトスして、n 回目に初めて表が出たら2のn 乗が賞金としてもらえるというギャンブルがあったとしたら、参加料としていくらまで出すのが合理的か、という問題です。1回目に表が出る確率は2分の1で、その時もらえる金額は2の1乗の2円、期待値は1円です。2回目に初めて表が出る確率は4分の1で、その時は2の2乗の4円をもらえ、期待値は1円です。以下、3回目に初めて表が出る場合、4回目に初めて表が出る場合という具合に、理論上はn をどこまでも増やしていけるので、このギャンブルで得られる期待値は、1円を無限回足していった額、つまり無限大になります。しかし、直感で考えると、このギャンブルに大金をつぎ込む人はいないと思います。しかし、ここで効用の概念を導入すると、別の結果が導けます。同じく期待値が1円増える場合でも、先ほどの話しにも出てきたように、1円が2円に増える際の効用は、0円が1円に増える際の効用よりも小さいと考えられます。そのため、期待値が1円増えた際の効用の増え方は、元の金額が増えるにつれて減少していき、やがて頭打ちになると考えられます。だから、このギャンブルに参加することで得られる効用の大きさは無限大にはなりません。詳しい説明は省きますが、だから、このギャンブルに参加するために支払っても良いと考える金額も無限大にはならないということが導けます。このギャンブルについて考える場合には、絶対値である期待値で考えるよりも、効用(厳密には期待効用)で考えた方が、皆さんの直感と整合的な意思決定が導けますよね。

澁谷:
 効用関数をつくるというのを言い換えると、社会リスクデータベースをつくりたいという方向が一緒なのかなと、私は個人的に感じているところです。