リスク共生社会創造センター

2023年3月29日

第4回
不確かな防災情報への対応―地震発生の予測を例に―

横浜国立大学 リスク共生社会創造センター 客員教授 座間 信作


■地震発生の予見性

今年は1923年関東地震(M7.9)から100年目に当たる。この地震の前には地震関係者ではよく知られている大森―今村論争1)があった。

1905年、当時無給の帝国大学地震学講座助教授であった今村明恒は、一般向け雑誌「太陽」に、「1855年安政地震(死者約1万人)から50年経っており、次の大地震に対する予防措置、特に火災対策を進める必要がある」旨、寄稿した。しかし、その意に反し「今村博士の説き出せる大地震襲来説、東京市大罹災の予言」などとメディアが報じ、またその約1か月後に若干の被害を伴う東京湾の地震(M6.4)が発生したこともあって、悪質なデマが飛び交う事態となった。これに対して、当時地震学講座の教授であった大森房吉は、今村の寄稿文に対して「学理上根拠なく浮説である」と厳しく批判することによって沈静化を図った。しかし、その18年後、死者・行方不明者約10万5千人の9割が火災によるという、まさに今村の危惧した世界最悪の地震火災が発生した。当時オーストラリアに滞在中の大森は帰国後、今般の震災に重大な責任を感じていると述べて今村に後事を託し、1か月後に亡くなった。

教授となった今村は、1800ページにも及ぶ関東地震調査報告書(震災予防調査会報告第百号)を刊行させるとともに、次の大地震は東南海であろうとして、私財を投じ和歌山に地震観測所を設立したり、静岡県掛川付近での水準測量を実施したりした。1944年12月6日から7日午前中にかけての測量では、通常では考えられない測量誤差が生じていることに測量技師達がいぶかっていた直後、東南海地震(M7.9)が発生した。後にそのデータを解析した茂木2)は、室内岩石破壊実験で生じる前兆的滑りと同様の現象が起こったものと解釈し、これを唯一の根拠として、いわゆる「東海地震」を対象とする地震発生の監視体制と列車の運行中止などを含む緊急応急体制が 40 年弱にわたって続けられてきた。

この体制の改訂の契機となったのは2011年東北地方太平洋沖地震(3.11)である。この地震の前には、1978年宮城県沖地震(M7.4)に匹敵する地震が今後30年で99%の確率で発生するとされ注意喚起がなされていたが、多くの地震学者が想定していなかった規模の地震が発生し、主に津波によって甚大な被害が発生した。その津波被害に関し、他の小中学校に比べ際立った人的被害を生じた大川小学校の対応、津波浸水により全電源喪失となり、その結果大量の放射性物質を放出することとなった東京電力福島第一原子力発電所の対応における巨大津波の予見可能性や結果回避可能性が訴訟の中で問われた。また、科学が現実に追いつかない中での、研究成果の公表、国(地震調査研究推進本部や気象庁など)としての見解、あるいは観測データに基づく警報の限界がもたらす問題が人的被害などに結び付いたという指摘もあり、地震発生予測の可能性についての議論が公にもなされることとなった。


■情報がもたらすリスクの許容と共生

3.11津波で甚大な被害を受けた地域は、過去の経験、教訓から他地域よりもよく対策がなされてきた。防潮堤の建設以外にも1896年明治三陸津波などでの津波浸水域の明示、被害想定に基づく津波ハザードマップの活用などが挙げられる。しかし、一方で経験、知識が期待と反対に働く場合もある。1933年昭和三陸津波では、1896年明治三陸津波での経験からの言い伝え「強震に津波無し」が災いし避難しない例があった。また、3.11前の仙台平野では津波ハザードマップに基づきほぼ万全の体制をとっていたが、想定をはるかに上回る津波によって甚大な被害を生じた。

従って、経験で得た知識が固定化される、今村―大森論争のような負の面を引き起こす、防災情報が安心情報として受け取られる、などの新たなリスクが生まれるという、情報が与えるリスクの基本的な特徴を理解することが肝要である。「地震予知は可能(東海地震)から困難」への転換、津波警報での具体的な数値の提示から「巨大」などの定性的な表現への転換などは、このようなリスクを考慮したが故のものであろう。いずれにしても、受け手側がそれらの情報を正確に理解できる情報リテラシーが必要である。一方で、その能力を持ったが故に、情報には様々な不確実性が付随していることを知ることになる。これも情報がもたらすリスクの特徴であると捉え、社会全体の視点の中でどうリスクを許容しリスクと共生するかが問われる。3.11での「釜石の奇跡」は一つの対応の仕方を示すものだろう。他方、発信側においては、その情報がどのようなプロセス(推測と仮定)を経て成立したのかなどの丁寧な説明を行うとともに、価値観、立場、影響の大きさ等がそれぞれ異なる受け手側の多様性をも認識する必要があろう。



参考文献

1) 山下文男:地震予知の先駆者 今村明恒の生涯、青磁社、1989

2) 茂木清夫:日本の地震予知、サイエンス社、1982



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