リスク共生社会創造センター

2022年12月14日

第3回
「安全」という用語の歴史的経緯から分かること

横浜国立大学 リスク共生社会創造センター 客員教授 酒井 信介


リスク共生を論ずる上で、「安全・安心」という用語がたびたび出てきますが、この中の「安全」という用語は、今日では誰もが当たり前に使っています。実は、この「安全」という用語の意味は、歴史的に見ると変遷してきており、その経緯を見ると我が国の「安全」に対する考え方とも関係していることに気づきましたのでコラムとして紹介させていただきます。きっかけとなりましたのは、元物質材料研究機構におられた私の大先輩から、辛島先生の面白い論文*をお送りいただき、拝読したことにあります。

この論文では、「安全」の意味が歴史とともに変遷していることを分析しています。分析に用いた辞書はA. 日蘭辞書(1603)、B.英和・和英語彙(1830)、C.和英語林集成(1867)、D.広辞苑(7版)の四種類です。何が興味深いかというと、400年以上にわたる意味の比較により、その変遷を知ることができること、また外国人が編集していることから、第三者的な視点が書かれていることです。A.の文献は、宣教師フランシスコ・ザビエルで有名なイエズス会の宣教師の方々が、後進の宣教師の日本語学習に役立てるために作成した辞書とのことです。「安全」の対訳英語は「Safety」とされることが多いですが、我が国の「安全」の用語には「Safety」とは一部異なる複雑な要素が含まれていると日頃感じていたところではありますが、辛島先生の論文を拝読して、その一端が理解できたような気がしました。驚いたのは、「安全」の意味は、時代とともに変遷してきたということです。

A.の文献では「安全」の解説として「平和で無事平穏なこと」であるのに対して、D.の文献では「安らかで危険のないこと」となっています。D.の文献の解釈は、「危険がない」ということですから、今日の多くの人にとって違和感のないものであると思われます。ところが、A.の中には「危険がない」ということが含まれておらず、かなり違和感のあるものではないでしょうか。 A.の文献は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に代表される戦国時代の頃のものですが、「安全」という用語は、驚くことに一般庶民のレベルで使われる用語ではなく、支配者層が「平穏に統治し、支配すること」という意味の「ヤスンズル」という動詞からきていて、実質的に支配者層に限られて用いられていたとのことです。一般庶民からすれば、「平穏な統治」を望むとしても、それは自ら達成するものとは考えられず、お上が実現してくれるものだったのではないでしょうか。時代の変遷とともに、一般庶民の人権意識の高まりもあり、誰もが「安全」を自ら考えるようになったはずです。

ところが、今日、機械製品の「安全」を論ずるとき、上記の歴史的経緯をひきずっているのではないかと感じられることがあります。例えば、機械製品に事故が起きると、規制側の責任が問われることが多いように感じます。この背景にあるのは、「安全」はお上が実現してくれるものである、という戦国時代のなごりが、未だに残っているのではないでしょうか。つまり、お上が作った規制は万全であり、その規制が正しく運用されていれば、庶民は何もしなくとも安全を享受できるはずだ、と考えてしまうのです。このような構図があると、規制側は必然的に、規制をより厳しいものにせざるを得なくなります。このことが、加速していくと、産業界にとっては自由度が少なくなり、競争力を失っていくことなりかねませんし、なによりも自らの安全は自ら考えるという主体性が生まれてこないというのが問題です。

言葉の歴史的経緯を知ることは、今日の実情を理解するのに参考になり、興味深いと感じた次第です。「安全」は人任せにするのではなく、自ら実現するという意識を強くもつことがリスク共生社会の実現のためにも重要であることは言うまでもないことです。 何某かの参考にしていただけると幸いです。

 

参考文献

辛島美恵子'日本社会の「安全」の受け止め方の変化:外国人編集の日本語辞典の検討から',社会安全研究,第10巻,p.115-148(2020).



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