リスク共生社会創造センター

2020年5月8日

リスク共生の視点から見た新型コロナ対応

新型コロナウイルスに関する危機管理広報
「第2回 偏見と差別を防ぐコミュニケーション」

横浜国立大学 IASリスク共生社会創造センター
非常勤講師  宇於崎 裕美
(エンカツ社 代表取締役社長)

政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長は4月22日の記者会見で、医療機関での院内感染事例の発生に伴い、医療従事者やその家族に対する偏見や差別が拡大していることに警鐘を鳴らした。

専門家会議では、医療従事者の子供の通園や通学の拒否について報告されたという。別の報道では、病院前のバス停からバスに乗り込もうとした病院職員が「コロナがうつるから乗るな!」と乗客から怒鳴られたとか、看護師の親子が「病院にお勤めの方ですよね。こういう時期なので公園は自粛していただきたい」と言われたとか。

いまや、「コロナいじめ」とさえいわれており、社会問題となっている。

このような状況を鑑み、本コラム第2回は予定を変更し「偏見と差別を防ぐためのコミュニケーション」について考察する。

人はなぜ偏見を持つのか

医療従事者に対する偏見が生まれた第一の原因は「情報の偏り」にある。緊急事態宣言発令以前から「複数の病院で院内感染が発生」と「マスクや防護服が不足」について繰り返し報道された。結果的に、「病院はあぶない」という印象を持ち、医療従事者に対し警戒感や嫌悪感を抱く人々が出てきてしまったのだ。SNSで「こわいよね」と自らの不安を打ち明け、「いいね」「そうだよね」と他人から同意を得ることでますます思い込みを強固にしていった人々もいただろう。これは、密室で叫ぶと自分の声がこだまとなって返ってくることに例えて「エコーチェンバー現象」といわれている。そして、「みんながこわがっている、いやがっているんだから」と極端な正義感にかられた人々により差別的行為が行われたのだろう。

偏見を持たないようにするには、日ごろから多方面から情報を得て思考のタコツボ化を意識的に避けなくてはならない。ネットやテレビだけではなくさまざま方法で情報収集し、いろいろな立場の人の意見に耳を傾けることが大切だ。しかし、これにはけっこうなエネルギーが必要だ。忙しい人々が、限られたお気に入りのツールだけを使って、自分の感性に合う情報だけを取り入れてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。


案外知られていない当たり前のこと

「院内感染発生」も「医療器具・医療装備不足」も「医療崩壊のおそれ」も、この数週間のホットな話題だ。新しいことや変わったことを報道するのがマスコミの役目だから報道はこれらに集中する。しかし、これらは医療現場の実情の一面でしかない。

医療従事者は、当然ながら「衛生」のプロである。日頃より感染予防のための行動を厳格に守っている。

「ハッピーバースティを2回歌いながら手を洗いましょう」とにわかにキレイ好きになった一般人とは、衛生観念も行動パタンも根本的に違うのだ。訓練された医療従事者はウイルスから身を守る方法を熟知しており、行動は厳しいルールのもとで管理されている。それでも院内感染は起きるだろうが、それはアクシデントであり、日常的にどの病院でも起こっているわけではない。病院全体からいったらごくまれだ。そもそもこの世にゼロリスクはない。コロナいじめに加担している人々は、この当たり前のことに気づいていないのだろう。

ある分野で当たり前のことを、他分野の人々が知らないということはよくあることだ。どんな職業にもプロならではの当たり前がある。一般人が「え、そこまでするの?」と驚くような厳格なルールや高度な技術が存在する。しかし、当たり前のことについて当事者は声高に説明しない。平時はそれで特に問題はないのだが、非常時は違う。

社会不安が高まる非常時には、プロはプロとしての当たり前を改めて世間に向けて説明したほうがいい。


リスク・コミュニケーションが役に立つ

新型コロナウイルス禍をきっかけに広まった医療従事者に対する偏見や差別を取り除くために、病院や医療に関する教育機関は、医療従事者が安全を保つためにどんな教育を受けて、日々何をして、どれだけ努力しているのかについて改めて説明すべきであろう。それは医療行為に関するリスク・コミュニケーションの一環でもある。

「差別はいけません」という倫理的なメッセージ発信は必要だが、それだけでは足りない。「医療従事者が差別に嫌気がさして退職してしまったら、あなたが困りますよ」というロジックはまどろっこしい。もう一歩踏み込んで、「そもそも、ことさら医療従事者をこわがったり嫌がったりする理由はない」ことを、不安がる人々にエビデンスとともに示すべきではないだろうか。


コミュニケーションはフィギュアスケートに似ている

筆者は一昨年から、「コミュニケーションはフィギュアスケートに似ている」と唱えている。

ご存じのとおり、フィギュアスケートの採点は、技術点+演技構成点からなる。そこからルール違反などを減点して得点が決まる。4回転ジャンプができても曲に合っていなかったり、コスチュームは美しいのに何度も転んだりしていては、総合点は高くならない。卓越した技術と人々に感動を与える演技構成点の両方がそろわないといけない。

コミュニケーションも「正確に説明する」技術点と、「感情に訴える」演技構成点の両方があってこそ、相手の共感が得られる。

コミュニケーションはフィギアスケート


当たり前のことを理解してもらうための技術を磨こう

ここ数日、医療従事者を励ます活動が盛んだ。お弁当やマスクを病院に届けるボランティア活動や、特定時間に市役所の職員全員で拍手をしたり、建築物をブルーの照明で照らしたり、「応援しましょう」とテレビCMを流したり。

このような行動とそれらに関する報道は、無関心あるいは偏見を持つ人々の耳目を集め、感情を動かす効果がある。つまり、「演技構成点」を高める活動だ。

ここでもう一つ必要なのが「技術点」を上げることだ。

その方法の一つが「医療現場で当たり前に行われている安全管理についての広報」だ。「医療従事者は感染予防のためにどんな訓練を受けて、業務のなかではどんなふうに衛生管理を行っているのか、どれだけ厳しく管理されているのか」というファクトを一般の人々に説く「技術」。これを磨けば総合得点はさらに高まる。それをして、ようやく世間の人々の腑に落ちるのではないだろうか。

さて、最後に米国のデータを紹介しておく。

ニューヨーク州のクオモ知事は2020年5月7日の記者会見で、「新型コロナウイルスの感染歴を調べる抗体検査を同州南部の医療従事者に実施したところ、ニューヨーク市では12.2%が陽性だった」と発表。これは、同市の一般市民の陽性率19.9%よりも低い。クオモ氏は「マスク着用など医療従事者が規則に従っている」からだと指摘したとのことである。

●参考資料
2020年5月8日 時事ドットコム「NY市の医療従事者12.2%に抗体 一般市民より少なく―新型コロナ」
UAL : https://www.jiji.com/jc/article?k=2020050800231&g=int



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