リスク共生社会創造センター

2020年12月18日

リスク共生の視点から見た新型コロナ対応

新型コロナウィルスと経営学(3)
専門家とイノベーション

横浜国立大学 国際社会科学研究院/先端科学高等研究院
准教授 大沼 雅也


今回のコラムでは「専門家」と「イノベーション」との関係について考えてみたい。新型コロナウィルスの拡大に伴い、「専門家」の意見に耳を傾ける機会が以前よりも増しているように思われる。専門家の中には、医師や看護師といった医療現場を支える方々もいれば、ウィルス研究者や空調に詳しい建築系の研究者のように科学的知見を蓄積し、発信することで我々の生活を支える方々もいる。本コラムでは、後者、すなわち科学的知見を発信する研究者を念頭に議論を進める。

私たちは科学的知見をよすがにすることがある。専門家が発信する科学的な知見を参考にして、私たちは意思決定を行ったり、場合によっては安心感を得たりする。メディアによって伝えられる専門家の意見を参照した後で、日々の振る舞いを改めた経験を持つ人も少なくないだろう。専門家からお墨付きが与えられることで安心を得るということもある。国会の中でも研究成果を参照しながら質問が行われたり、「エビデンスがない」ことが一つの判断基準として示されたりもする。これらは、私たちが科学的知見を一つのよりどころとしていることの現れといえる。

他方で、わが国では、3.11以降、一部の専門家の見解に依存した意思決定の是非が、科学技術社会論の研究者を中心に論じられてきた(例えば、山脇, 2015)。さかのぼれば、1990年のヒトゲノム計画に端を発してELSI(Ethical, Legal and Social Implications/Issues:倫理的・法制度的・社会的課題)という概念が米国において登場し、また欧州では、RRI(Responsible Research and Innovation:責任ある研究・イノベーション)といった考え方が提示されてきた(Zwart et al., 2014)。それらはいずれも新たな科学的知見や技術が社会に導入されていく際には、多様な利害関係者の思惑や意図、感情が入り混じることから、多方面からの検討が欠かせないというメッセージを持つ。それは同時に、特定の専門家コミュニティの知見を基にした政策的な意思決定が、社会にとっては必ずしも望ましい成果をもたらす訳ではないことも示唆している

ここで私たちはある種のパラドックスに直面する。不確実な状況を前に専門家の見解を個人としては頼りにしがちである一方で、皆が専門家に頼るだけでは社会としては必ずしも望ましい訳ではないというパラドックスである。この問題について、コロナ禍は新たな潮流を生み出しているように思われる。以前と同様に、既存のメディアを中心に専門家の声が広く伝えられる一方で、SNS等を中心に、非専門家である個々人が自身の懸念や心配事を発信している。家族や職場等で感染対策に関する科学的知見の妥当性や、その是非を話す機会も増えていると思われる。感染症の専門家からは、素人でもわかりやすいような情報が発信されたりもしている。それらは、一つの科学的な問題やそれと深く関わる意思決定をテーマに、以前とは異なるかたちで展開されている「対話」と捉えることができるかもしれない。

こうした潮流が生まれているとするならば、それは今後のイノベーションの実現過程やイノベーションそのもののあり方を考える上で、注目に値する。従来、イノベーションの担い手は、企業や大学・公的機関の専門家が中心であるとみなされてきた。しかし、企業が重要視する経済的なロジックや、専門家が依拠する科学的なロジックのみでは、今後、イノベーションの推進をしていくことは難しい。それは近年のSDGsへの注目やESG投資等の動向を見ても明らかであろう。イノベーションは社会・経済的価値を生み出すものであるから、その価値が大きければ大きいほど、社会的な影響は広範に及ぶ 1。それゆえに大きな価値の創造や獲得を目指す取り組みであればあるほど、様々な利害関係者の声に耳を傾け、その声を部分的にでも反映していくことが求められる。

このような背景を踏まえると、今回の新たな流れには、小さくない意義があるように思われる。市民として、あるいは顧客として、新たに出現しつつある科学や技術に関心を持ち、周囲の人々と対話する機会が増えることは、一部の専門家や企業の思惑に基づくイノベーションの実現を難しくし、結果として、より社会性を反映したイノベーションの実現につながる可能性がある。専門家は自身が発信する科学的知見が社会においていかなる影響を与えうるのかについて、自覚的になる必要も出てくる。フォンヒッペルは「民主化するイノベーション(Democratizing Innovation)」という言葉を用いながら、イノベーションの担い手としての製品ユーザーについて論じている(von Hippel, 2005)。企業や専門家のみならずユーザーもまたイノベーションの重要な推進者になるというのが彼の主張である。今回の状況は、フォンヒッペルの指摘する「民主化」をさらに拡大する可能性を秘めている。それはユーザーに限らずこれまでイノベーションの推進者として見なされてこなかった人々の声が、イノベーションの実現と深く結びついていくという流れである。こうした傾向が社会として望ましいという前提に立つならば、大学等の研究機関や個々の専門家は、これまでとは異なるかたちでイノベーションの推進経路を模索し、この潮流を発展させることを一つの課題として捉えることが肝要であろう。単に受益者の声を聞くということ以上に、広い視点から科学や技術の発展の方向性を考えることが必要になるだろうし、それを実現する仕組みづくりも求められる。コロナ禍は、専門家とイノベーションとの関わりを改めて問う契機になるのかもしれない。


[参考文献]

山脇直司(編)(2015).『科学・技術と社会倫理:その統合的思考を探る』東京大学出版会.

Zwart, H., Landeweerd, L., & Van Rooij, A. (2014). Adapt or perish? Assessing the recent shift in the European research funding arena from ‘ELSA’to ‘RRI’. Life sciences, society and policy, 10(1), 1-19.

von Hippel, E. (2005). Democratizing innovation, MA: MIT Press(サイコム・インターナショナル訳『民主化するイノベーションの時代』ファーストプレス,2006年).

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1 イノベーションの定義については先のコラムを参照されたい
https://www.anshin.ynu.ac.jp/view/vol501.html





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